必然が重なった末の交わりに

heard melodies are sweet,
but those unheard are sweeter

風のような、人
そう呼ぶのが似つかわしい存在
よく空気のようで落ち着くと語る部類ではなく
正に匹敵する存在が彼になって居た
逢うわけでもない、声を聴くこともない
だた文章の上で続く其の関係性
もう随分と道程は続いてきた
勿忘草みたいな私は出逢った頃すら
何時だったのか覚えていない
春だったのか夏だったのか秋だったのか冬だったのか
多分冬から春に差し迫る頃だったろうか
月日はおおよそ五年は超えているような気がする
記憶を手繰ってみても思い出せないのは
其の存在の大きさからなのだろう
大概、切り出すのは私ではなく彼の方で
文字の羅列のラリーは数分で終わることはない
話始めるとお互いに真面目なものだから
とことん理解しあうまで言葉のキャッチボールは続く
ある日は歓喜に満ち、またある日は喧嘩腰な口論
二十三時
を過ぎた頃を皮切りに
零時
はとうに回り朝方など戯れ
何時迄、続くのかって?
歳をとって老後迄だよ、そう彼は文章に納めて来た
今も遡れば文字に記され残って居る
もう呆れるほどに延々とスクロールしなければ解らないけれど
「本当の私を誰も知らない、本当に誰も」
そう呟いた私に予想だにしなかった
「知っているよ 笑」
彼の文字と共にメールの”ぽわん”という音が奏でた
今日も二人は生きている、生きていく